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グラム68円の肉はどこに? 僕が埼玉の実家で改めて絶望した「東京の物価」という壁

先日、僕は久しぶりに実家のある埼玉県に帰省した。そして、近所のスーパーで買い物をしていた時、ある値札の前で思わず足が止まった。「国産豚こま肉 100g 68円」

なんの変哲もない、地元ではごく当たり前の光景。だが、今の僕にとって、それはファンタジーの世界の産物かのように、非現実的な数字に見えた。

現在、僕が住んでいるのは東京。職場がそこにあるからだ。東京のスーパーでは、特売日ですら豚肉が100gあたり100円を切ることは稀で、普段は128円や148円の値札が当たり前のように貼られている。その差、実に2倍以上。

脳内で電卓を弾くまでもない。この圧倒的な価格差を前に、僕は静かに絶望していた。そう、これこそが僕が日々直面している現実。改めて突きつけられた「東京の物価」という、あまりにも高く、分厚い壁の正体だった。


すき家」にすら存在する、見えない都県境(東京価格)

多くの人が「チェーン店なら価格は全国一律だろう」と思っているかもしれない。僕もそうだった。だが、その幻想は東京に来てすぐに打ち砕かれた。

牛丼チェーンの「すき家」ですら、東京の店舗は「東京価格」が設定されており、地方の店舗よりも数十円高いのだ。たかが数十円、されど数十円。日々利用する者にとっては、ボディブローのようにじわじわと効いてくる。

もちろん、スーパーの価格も、飲食店の価格も、僕らが日常で手にするものすべてが、見えない膜に覆われるように一様に高い。「地元ならもっと安く、もっと食費を抑えられるのに。苦しい」。この心の声は、きっと僕だけのものではないはずだ。

東京で暮らし始めてから、僕の食生活は劇的に変わった。いや、変えざるを得なかった。

「お米?高いから、今は食べるのを控えてるんです」

友人にそう自嘲気味に話したことがある。冗談ではない。本当に、白米を食べる回数は激減した。今の僕の主食は、安価な乾麺のパスタだ。様々なソースでごまかしながら、来る日も来る日もパスタを茹でる。その結果、どうなったか。

このパスタ生活を約5ヶ月続けた結果、僕の体重は10kg落ちた。

意図せざるダイエット。聞こえはいいかもしれないが、健康的な痩せ方でないことは自分が一番よく分かっている。これは、東京の物価の高さが、僕の身体を蝕んでいる証拠に他ならない。


家賃6.7畳、飲み会3000円。これが僕のリアル

東京の生活コストで最も重くのしかかるのが「家賃」だ。僕が住んでいるのは、6.7畳の1K。決して広くはないこの城を維持するだけで、毎月の給料のかなりの部分が消えていく。「ぎりぎり」という表現が、まさにぴったりだ。

もちろん、生活は家賃だけで成り立たない。

  • 飲み会:仲間との交流も大切だが、一度参加すれば3000円は覚悟。少し良い店なら5000円が飛んでいく。
  • 交通費:幸い、定期があるので多少は安くなるが、定期区間外への移動は躊躇してしまう。
  • 美容院:価格は地元と大きくは変わらない。それでも「もう少し安くならないかな」と毎月思う。贅沢は、できない。

「みんな同じだよ」。飲み会で物価の話になると、決まって誰かがそう言う。そうだ、僕だけじゃない。東京で夢を追い、仕事に励む誰もが、この重圧の中で必死にもがいているのだ。


それでも僕が「東京」にいる理由

「こんなに苦しいなら、実家に帰ればいいじゃないか」と、思う瞬間がないわけではない。それでも僕が東京に留まるのには、いくつか理由がある。

一つは、仕事がここにあるから。僕がやりたい仕事、キャリアを積める環境は、やはり東京に集中している。

そして、もう一つ、少し個人的な理由だが、ポケモンGOが充実してできる」ことだ。ポケストップの数、レイドバトルの成立率、コミュニティの熱量。こればかりは、地方では決して味わえない魅力がある。

それに、高いと嘆いてばかりでもない。個人商店が営む八百屋や、特定のコンビニ、アーケードの特売など、探せば安いものが見つかることもある。この街で生き抜くための知恵も、少しずつ身についてきた。

東京で暮らす価値があるのか、ないのか。その答えは、まだ僕にも分からない。今はただ、この街でしか得られないもののために、日々戦っている。


これから「上京」する君へ、僕からのアドバイス

最後に、これから東京での生活を考えている君へ、僕自身の経験からいくつか伝えたいことがある。

  • まず、お金を蓄えてきてほしい。初期費用はもちろん、最初の数ヶ月を乗り切るための生活防衛資金は、君の心のセーフティネットになる。
  • 家選びは妥協しないでほしい。家は心と体を休める唯一の場所だ。できれば、少しでも過ごしやすいアパートやマンションを選んだほうがいい。
  • 「東京寄りの埼玉」も視野に入れてみてほしい。朝に強く、多少の通勤時間が苦にならないなら、中心部から少し離れるだけで家賃はぐっと抑えられる。暮らしのコストパフォーマンスは、確実に上がるはずだ。

東京は、夢を叶える場所であると同時に、容赦なく現実を突きつけてくる場所でもある。苦しいことは多い。だが、それでも挑戦する価値のある街だと、僕は信じている。

 

 

【悲報】ポケモンGOの「詐欺まがい」な不具合は仕様か?オリジンレイド事件の真相と、我々トレーナーが搾取されないためにすべきこと

2019年から、私は「Pokémon GO」という世界を旅するトレーナーの一人だ。

社会人になり、意識しなければ外に出る機会もめっきり減った。そんな私にとって、近所を歩き、新しい発見をしながらポケモンを捕まえるこのゲームは、乾いた日常を潤すオアシスのような存在だった。仕事の合間にレイドバトルに参加し、休日は色違いを求めて何時間も歩き回る。やらない期間こそあったものの、最近再びその魅力に引き込まれ、毎日のようにプレイしている。レベルは38になった。

そう、基本的には「楽しい」のだ。このゲームは。
世界中の人々を繋ぎ、健康的なライフスタイルを促進する素晴らしいコンテンツだ。根底にある「ポケモン」という存在が、私たちの子供の頃の夢や冒険心をくすぐり続ける。

だからこそ、許せない。
その楽しみに付け込み、トレーナーたちの時間、お金、そして何より「期待」を意図的に裏切る運営会社Nianticの姿勢が。

本記事は、先日多くのトレーナーを絶望の淵に叩き落とした「オリジンレイド色違い不具合事件」を軸に、Nianticが繰り返す悪質極まりない行為を告発し、我々プレイヤーがこれ以上泣き寝入りしないための具体的なアクションを提示するものである。


悪夢のオリジンレイド事件 - 奪われた時間、金、そして信頼

事件が起きたのは、つい最近のことだ。多くのトレーナーが心待ちにしていたであろう、ディアルガパルキアのオリジンフォルムが実装されたレイドイベント。特別な技を覚え、そして運が良ければ色違いに出会えるかもしれない、胸躍るイベントのはずだった。

その時、私はちょうど実家に帰省していた。都心と違い、周りを見渡してもジムの数はまばら。自力でレイドに参加するのは困難な状況だった。しかし、このビッグウェーブに乗り遅れたくない。私は「やむを得ず」課金し、リモートレイドパスを数枚購入した。家族との時間を少しだけ拝借し、スマートフォンの画面に集中する。

しかし、何度レイドに勝利しても、私の期待は悉く裏切られた。告知されていたはずの色違いは一向に姿を現さない。それどころか、目玉であるはずの特別な技を覚えている個体すら、ほとんどいないのだ。

これは、私だけの話ではない。X(旧Twitter)を始めとするSNSは、阿鼻叫喚の渦と化した。「色違いが出ない」「特別な技を覚えない」――。世界中のトレーナーから同じ内容の投稿が溢れかえり、トレンドを埋め尽くした。これはもはや個人の運の問題ではない、明らかにシステム上の「不具合」だった。

ここで断言したい。
「確率の不具合」などというものは、基本的に「ミス」では起こり得ない。
ゲーム開発において、ガチャやレイド報酬の確率設定は、収益に直結する最重要項目だ。リリース前には、エンジニアがデバッグ(テスト)を繰り返し、設定された確率通りにアイテムやキャラクターが排出されるかを血眼になって確認するはずなのだ。それを怠ることは、開発企業としてあり得ない。

では、なぜこんなことが起きたのか?
答えは一つしかない。これは「故意」に行われた「確率操作」であると、私は確信している。

安易に色違いや高個体値を出さないことで、トレーナーの「もっとやれば出るかもしれない」という射幸心を煽り、レイドパスの追加購入を促す。これはゲームの不具合ではない。トレーナーの心理につけ込んだ、極めて悪質な「詐欺行為」に等しい。

私はこの事件で、課金した数百円を失った。だが、本当に奪われたのはそんなものではない。楽しみにしていたイベントへの期待感、実家で過ごす貴重な時間、そして何より、運営に対する最低限の信頼だ。


氷山の一角 - 繰り返されるトレーナーへの裏切り

オリジンレイド事件は、決して単発の事故ではない。Nianticの不誠実な対応は、これまでも枚挙に暇がない。

記憶に新しいのは、「おこうを使用すると、ポケモンがほぼ確定で逃げる」という事案だ。
「おこう」は、野生のポケモンを引き寄せるための課金アイテムだ。本来であればプレイヤーを助けるはずのアイテムが、逆にポケモンを確定で逃がす罠として機能していたのだ。お金を払って、捕獲の機会を自ら潰していたのだから、笑うに笑えない。

これらの不具合に共通しているのは、いずれも金銭や時間を投じたプレイヤーが一方的に損をする構造になっているという点だ。


トレーナーを愚弄するサポート体制 - もみ消される声

さらに悪質なのは、問題発生後のサポート体制だ。

私は今回のオリジンレイド事件について、ゲーム内サポートに2度問い合わせを行った。しかし、返ってきた答えは信じがたいものだった。
「調査の結果、そのような不具合は確認されませんでした」
事実上の、門前払いである。

世界中のユーザーが声を上げ、ニュースにまでなっている事象を「なかった」ことにして、もみ消そうとする。この期に及んで、まだトレーナーを騙せると考えているのだろうか。

返信には「自動返信」と記載されていることがある。だが、本当にそうだろうか。問い合わせが殺到しているのか、返信にはかなりの時間がかかる。これは、担当者が一度内容を確認し、「補填や謝罪の必要なし」と判断した上で、自動返信を装った定型文を送信しているだけではないのか。そう考えずにはいられない。我々の声は、機械的にではなく、人の手によって意図的に握り潰されているのだ。

そして、仮に不具合を認めたとしても、その後の補填がまた酷い。
今回の件でも「お詫び」として、申し訳程度のアイテムが配布された(あるいは、される予定だ)。しかし、それは不具合によって失われた価値に全く見合っていない。

我々が失ったのは、アイテムだけではない。レイドに費やした時間、課金したレイドパス、そして精神的な苦痛。それらに対する補填は一切ない。「これで満足だろう」と言わんばかりの小さな補填を投げつけ、毎度のように幕引きを図る。これは誠意の欠片もない、トレーナーを愚弄する行為だ。


もう泣き寝入りはやめよう - 我々が今すぐ起こすべきアクション

SNSを見れば、今回のNianticの対応に満足しているユーザーは誰一人としていない。誰もが怒り、呆れ、そして不安を感じている。

「次のイベントも安心して課金できない」
「楽しみにすればするほど、また裏切られるのではないか」

この不安は、すべての誠実なトレーナーが共有している感情だろう。
Nianticは、こう高を括っているに違いない。「どうせポケモンという巨大なコンテンツがある限り、ユーザーが離れることはない」と。そして悲しいかな、それは事実かもしれない。私たちも、結局はポケモンが好きだから、楽しいから、このゲームを続けてしまうのだ。

だが、「楽しい」からこそ、このままではいけない。
好きなゲームが、詐欺まがいな行為で利益を上げる悪質な集金装置と化していくのを、黙って見過ごしてはならない。我々は消費者として、プレイヤーとして、正当な権利を主張すべきだ。

では、どうすればいいのか?
X(旧Twitter)で不満を呟くだけでは、彼らには届かない。ゲーム内サポートに問い合わせても、もみ消されるだけだ。

我々が取るべき、最も有効で正当な手段。それは、国が設置している公式な相談窓口へ声を届けることです。

これは、商品やサービスに関する消費者トラブルについて、専門の相談員が公正な立場で対応してくれる窓口です。ここに数多くの声が届けば、行政が企業に対して調査や指導を行う可能性が生まれます。一個人の声は小さくとも、それが集まれば社会を動かす大きな力となる。テレビや新聞が取り上げるような、大きな問題へと発展させることも夢ではありません。

この記事を読んで、少しでも共感してくれたトレーナーに告ぐ。
ポケモンGOを愛するなら、この現状に不満があるのなら、どうか行動してほしい。覚悟をもって、悪質な運営に立ち向かおう。私たちが求めているのは、過剰なサービスではない。ただ「正当に遊べるゲーム」にしてほしい、ただそれだけなのだ。

私たちの手で、ポケモンGOをあるべき姿に取り戻そう。戦いは、今ここから始まる。

 

 

健康診断でまさかの「血小板異常」!精密検査の結果と、社会人一人暮らしの食生活改善記

はじめに:健康診断の結果にドキッ!血小板の数値に異常?

毎年恒例の健康診断で、血液検査の項目に「要精密検査」の文字が。

 

「血小板:要精密検査」

 

自分は健康だと思っていたのに、まさかこんな結果が出るとは。不安を抱えながらも、仕事の忙しさでなかなか病院に行けない日々が続きました。

この記事では、私自身の血小板に関する健康診断の体験談と、それを通して見えてきた社会人一人暮らしのリアルな食生活、そしてこれからの健康との向き合い方について正直に綴ります。同じような経験を持つ方にとって、少しでも参考になれば幸いです。


血小板って何?その役割と基準値

精密検査と言われて初めて、血小板について真剣に調べ始めました。

血小板の基本的な役割:止血と血管の修復

血小板は血液に含まれる細胞成分の一つで、主に以下の二つの重要な役割を担っています。

  • 止血作用: 怪我などで出血した際、血小板が集まって傷口を塞ぎ、血を固めて出血を止めます。

  • 血管の修復: 血管の微細な損傷を修復し、血管の健康を維持します。

参照:日本赤十字社「血小板の働き」

血小板の基準値と私の数値

一般的な血小板の基準値は、医療機関によって多少の差はありますが、おおよそ**15万~40万/μl(マイクロリットル)**とされています。

私の健康診断の結果に記載されていた基準値は「14.5~32.9万/μl」でした。それに対し、私の数値は……

 

40.3万/μl

 

初めて精密検査になった時は、「40万/μlを超える」という点が引っかかったようです。医師からも、「基準値の上限を超えているため、念のため精密検査が必要です」と言われました。

血小板の数値が高い・低い場合の一般的な原因

血小板の数値が高い場合を「血小板増多症」、低い場合を「血小板減少症」と呼びます。

血小板が高い場合(血小板増多症)

運動後、炎症、貧血、出血後など、一時的または特定の状態により数値が高くなることがあります。

血小板が低い場合(血小板減少症)

骨髄の機能低下、免疫の異常、特定の感染症、肝臓病、薬剤の副作用などが原因で数値が低くなることがあります。低い場合は出血が止まりにくいなどの症状に繋がりやすいため、注意が必要です。

参照:日本赤十字社「血小板の働き」、その他一般的な医学情報に基づき記載。

※これらの情報は一般的なものであり、個別の診断は必ず専門の医療機関で行ってください。


初めての精密検査:入社時の経験

初めて「要精密検査」の診断を受けたのは、新卒で入社したばかりの頃でした。

結果通知が届き、血小板の欄だけが赤い文字で示されているのを見て、不安でインターネット検索ばかりしていました。会社の人事から指示を受け、提携医療機関で精密検査を受けることに。

精密検査といっても、行われたのは**追加の採血**だけでした。医師からは、「体質や体調によって変動することもある。他に症状もないので、現時点では心配ない。念のためもう一度詳しく調べましょう」という説明がありました。数日後、結果を聞きに行くと「特に問題となる異常は見られません。**経過観察で大丈夫でしょう**」との診断でした。

新社会人として忙しく、その時は「大丈夫なら良かった」と深く考えることもありませんでした。


そして、再び…最近の内科受診と医師の言葉

入社時の精密検査から数年、血小板の数値はいつもギリギリ正常範囲か、あるいは少し高めが続いていました。特に症状もなかったので、気にせず過ごしていました。

しかし先日、体調が少し気になり、近くの内科を受診した際、ついでに血小板のことも相談してみました。改めて血液検査をすることに。

数日後、結果を聞きに行くと、やはり血小板の数値は**40.3万/μl**。

医師はこう説明してくれました。

 

「うん、確かに基準値よりは少し高めですね。でも、高い分にはそこまで何かあるというわけでもないんですよ。低いと問題になることが多いんですけどね。」

「現状では特に心配な所見は見られません。一応、また一週間後に来てもらって、今日の血液検査の結果をもう一度確認させてくださいね。」

 

この言葉に「ああ、やっぱり大丈夫なんだな」とホッとしました。正直なところ、「問題ないならまあいいか」と思っただけです。深く考えずに、また日々を過ごしてしまうだろうな、とその時思いました。

しかし、この出来事が、改めて私の生活習慣に目を向けるきっかけになったのは間違いありません。


社会人一人暮らしのリアルな食生活:パスタとご飯の日々

今回の健康診断の結果をきっかけに、自分の生活を振り返ってみました。

特に食生活……。

「これから帰ってきてまともにいい生活もしてなければ、ほとんど夕食はパスタたまにごはんという感じなので次の健康診断が心配ではあります。」

この言葉が、今の私の生活をまさに言い表しています。社会人になり、一人暮らしの食生活は本当に偏りがちです。

  • 夕食はパスタばかり: 簡単、手軽、飽きにくい、安い。

  • たまにご飯: 自炊しても丼ものや簡単な炒め物。

  • 野菜不足: 意識しないとほとんど摂れていない。

  • 栄養の偏り: タンパク質やビタミン、ミネラルが足りているか疑問。

  • 外食・コンビニ食の誘惑: 疲れて帰ると、ついつい買ってしまう。

朝食はパンとコーヒー、昼食は会社の食堂やコンビニ。夕食はパスタに手が伸びがちです。料理は得意ではなく、仕事で疲れていると、栄養バランスを考えて品数を作るのはハードルが高い。

この食生活が、血小板の数値に影響を与えているのかもしれない……次の健康診断で、さらに悪い結果が出たらどうしよう……そんな漠然とした不安が募っていきました。


不安を希望に変える!食生活&生活習慣改善への第一歩

現状を放置するわけにはいかないと感じています。「なるべく食生活や普段の生活を悪くなり過ぎないようにしたい」という思いを胸に、できることから改善への第一歩を踏み出します。

食生活で意識したいこと:手軽で継続できる工夫

完璧な食生活は難しいので、「少しでも良くする」を目標にしました。

1. 買い物から意識を変える

  • コンビニ・スーパーでの選択: サラダチキンやゆで卵、カット野菜、冷凍野菜を常備。フルーツやミニトマトなど、手軽に食べられるものを加える。

  • 加工食品の選び方: 添加物、塩分、糖分の少ないものを選ぶよう意識する。

2. 簡単自炊で栄養バランスUP

  • ワンプレートで完結: 鶏むね肉と野菜を焼く、蒸し料理など。

  • 具だくさんメニュー: 味噌汁やスープで野菜をたくさん摂る。

  • レトルト・缶詰活用: 鯖缶、ツナ缶、レトルトの和総菜など、栄養価が高く日持ちするものを常備。

  • 主食の見直し: たまには玄米や雑穀米。パスタには野菜、キノコ、海藻類をたっぷり加える。

3. 間食や飲み物の見直し

  • お菓子ではなく、ナッツ、ヨーグルト、果物を選ぶ。
  • 甘いジュースではなく、お茶や水、炭酸水にする。

これらの工夫はまだ完璧ではありませんが、意識するだけでも選択が変わってきているのを感じます。

運動・生活習慣で意識したいこと:無理なく継続を

食生活だけでなく、運動や生活習慣も見直したいと考えています。

  • 通勤ウォーキングの活用: 「普段は通勤で歩いている」は素晴らしい習慣です。さらに「一駅分歩く」「少し遠回りする」「姿勢を意識する」など、ちょっとした工夫で運動量を増やせます。

  • 睡眠の質の向上: 決まった時間に寝起きし、寝る前のスマホ操作を控える。寝室環境を整える。

  • ストレス管理: 趣味の時間、リラックスできる時間を持つ。

  • 定期的な体調チェック: 毎日体重を測る、体調の変化に敏感になる。疲労を溜め込まない。

完璧を目指さず、「できることから、少しずつ」をモットーに、無理なく継続できる範囲で取り組んでいきたいと思っています。


社会人の健康診断エピソードを教えてください!

今回の血小板の件を通じて、健康診断の結果が「自分ごと」として、より重く心に響くようになりました。毎年受けるものだからこそ、ちょっとした変化にも敏感になりたいと改めて感じています。

私自身、新社会人になってからの健康診断で、思いがけない結果に戸惑った経験を今回お話ししましたが、皆さんも社会人になってからの健康診断で、印象的な出来事や、思わず「ドキッ」としたエピソードはありますか?

例えば、

  • 「私も思わぬ数値が出て、そこから生活習慣を見直しました!」

  • 「忙しい社会人でも続けられる、おすすめの健康習慣があれば教えてください!」

  • 「一人暮らしの食生活、みんなはどうやって乗り切ってるの?」

  • 「健康診断後の精密検査、どんな体験をしましたか?」

など、どんなことでも構いません。ぜひコメントで教えていただけたら嬉しいです。皆さんの経験や知恵を共有して、一緒に健康的な生活を送るヒントを見つけていけたらと思っています!


おわりに:自分の体と向き合うことの大切さ

今回、血小板の数値で精密検査を受けた経験は、私にとって大きな転機となりました。「まだ若いから大丈夫」という根拠のない自信や、「忙しいから仕方ない」という言い訳から、自分の体と真剣に向き合うことの重要性を痛感しています。

健康は、日々の小さな積み重ねでできています。

すぐに劇的な変化はなくても、今日食べたもの、今日動いた分、そして今日得た情報が、未来の自分を作っていくのだと強く感じています。

これからも、定期的な健康診断を大切にし、結果を「自分の生活を見直すきっかけ」として捉えていきたいと思います。

このブログを通じて、私と同じように健康について考えるきっかけになったり、少しでも皆さんの生活がより豊かになるヒントを提供できれば幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

【今週のお題】本番に弱い私がバスケ部で得たものと、社会人の運動事情

バスケとの出会いと、部活動への憧れ

今週のはてなブログお題が「部活」ということで、私の中高時代の部活動について振り返ってみたいと思います。

中学から高校にかけて部活動はいくつか経験しましたが、一番熱中したのは中学時代のバスケットボール部です。今でこそ「運動してるの?」と聞かれると「全く…」と答えるばかりの私ですが、当時は毎日汗水垂らしてボールを追いかけていました。

私は決して運動音痴ではありませんでした。小学生の頃から遊びでバスケットボールに親しみ、他のスポーツもいくつか経験していました。しかし、テレビで見るバスケの試合や、少し年上の先輩たちが体育館で躍動している姿が、当時の私にはとても格好良く見えたのです。「私もあんな風にシュートを決めたい!」「ドリブルで相手を抜き去ってみたい!」そんな漠然とした気持ちで、私はバスケ部の門を叩きました。

しかし、現実は甘くありませんでした。私が入部した中学校のバスケ部は、市内でもそれなりに名の知れた強豪校。遊びでバスケをしていたとはいえ、部活動としての練習は想像以上にハードで、周りのレベルについていくのが精一杯でした。入部当初はボールが思うように扱えず、ドリブル中に転んだり、パスが味方ではなくあらぬ方向へ飛んでいったり…。「私、本当にバスケがしたいのかな?」と自問自答する日々もありました。

それでも、辞めずに3年間続けられたのは、やはりバスケが好きだったからだと思います。そして、同期や先輩、後輩たちとの毎日の練習が、何よりも楽しかったからです。辛い練習も、みんなと一緒だから乗り越えられました。

補欠から見えたバスケの奥深さ 〜本番に弱い私の葛藤〜

中学3年間、バスケ部に所属しましたが、私は一度もスタメンAチームに選ばれることはありませんでした。常にBチームで、試合に出場する機会も限られていました。悔しくなかったと言えば嘘になりますが、それ以上に、自分の実力不足を痛感する日々でした。

特に私の最大の課題は、「本番に弱い」ことでした。

普段の練習では、「え、今のシュート入るの!?」と自分でも驚くようなロングシュートが決まったり、練習試合では意外なプレーが成功したりと、それなりに活躍できる場面もありました。チームメイトや先生からも「〇〇、今の良かったぞ!」「やればできるじゃないか」なんて声をかけてもらえることもあって、その瞬間は本当に嬉しかったんです。

でも、本当の公式戦になると、まるで別人になってしまうのです。

手が震えてパスが乱れたり、簡単なレイアップシュートを外したり、得意なはずのドリブルもぎこちなくなって、すぐにボールを奪われてしまったり…。練習でできていたことが、試合になると途端にできなくなる。頭では分かっているのに、体が言うことを聞かない。そんな感覚でした。

「よし、今度こそは!」と意気込んで試合に臨んでも、緊張でガチガチになってしまい、結局、自分の実力を全く発揮できないままベンチに戻る。そんなことの繰り返しでした。

まるで、練習で積み上げてきたものが、本番のプレッシャーという目に見えない壁に阻まれて、霧のように消えてしまうかのようでした。

顧問の先生からは「お前は練習番長だな」と苦笑いされることもありました。その言葉は、まさに当時の私を的確に表していました。練習ではそれなりに動けるのに、肝心な試合では何もできない。そんな自分が情けなくて、何度も落ち込みました。

それでも、ベンチから見る試合は、私にとって多くの学びを与えてくれました。

スタメンの選手たちが、練習では見せないような集中力でプレーしている姿。チームが苦しい状況の時、誰かが声を張り上げて仲間を鼓舞する姿。そして、勝利に向かって全員で必死に食らいつく姿。コートの外から見ていると、バスケは単に技術を競うだけでなく、精神力やチームワークがどれほど重要かを痛感させられました。

私は試合に出る機会は少なかったですが、それでもチームの一員として、ボール拾いやベンチでの声援、そして試合中はタイマーを担当するなど、自分にできることを精一杯やりました。チームが勝利したときの喜びは、たとえ自分が活躍していなくても、心から嬉しいものでした。

この「本番に弱い」という性質は、実は今でも私の中に根強く残っています。仕事でのプレゼンや、何か新しいことに挑戦しようとする時、「また失敗するんじゃないか」「上手くいかなかったらどうしよう」という不安が頭をよぎり、なかなか本領を発揮できないことがあります。

でも、中学時代のバスケ部での経験は、そんな自分と向き合うきっかけを与えてくれました。完璧でなくても、今できることを精一杯やることの大切さ。そして、一人で抱え込まず、仲間と協力することの重要性。これらは、あの頃の私がバスケ部で学んだ、かけがえのない教訓です。

高校での短いバドミントン部と、運動から遠ざかった日々

中学を卒業し、高校に入学してからも私は運動部に所属しました。今度はバドミントン部です。バスケとは全く違う競技ですが、中学でろくに活躍できなかった反動か、「今度は個人競技で頑張ってみようかな」という気持ちがありました。

しかし、バドミントン部にいたのはたったの3か月ほど。あまり長くは続きませんでした。

理由はいくつかあります。一つは、中学のバスケ部ほど熱中できなかったこと。もう一つは、高校に入学したばかりで、新しい環境や友人関係に慣れるのに精一杯で、部活動にまでなかなか気持ちが向かなかったことです。そして何より、中学バスケ部で感じたような「仲間との一体感」を、当時のバドミントン部ではあまり感じられなかった、というのも正直なところです。

結局、3か月でバドミントン部を退部し、それ以降、私は本格的な運動から遠ざかってしまいました。

高校卒業後、大学、そして社会人となり、運動をする機会はめっきり減りました。学生時代はあんなに毎日体を動かしていたのに、今では階段を上るだけで息が上がったり、少し走っただけで筋肉痛になったりすることも珍しくありません。

「昔はバスケしてたんだよ」と話すと、「え、意外!」と驚かれることも多々あります。それほどまでに、現在の私は運動とは無縁の生活を送っています。

社会人の運動事情:皆さんはどうしていますか?

さて、ここからは私自身の話から少し離れて、読者の皆さんに問いかけてみたいと思います。

社会人の皆さん、運動ってどうしてますか?

私の周りの社会人を見ても、運動を習慣にしている人とそうでない人に二極化しているように感じます。

運動習慣がある人のパターン

  • ジム通い: 定期的にスポーツジムに通い、筋力トレーニングや有酸素運動を行っている人が多いです。会社の福利厚生でジムの割引があったり、職場の近くにジムがあったりすると続けやすいようです。
  • ランニング・ウォーキング: 早朝や仕事終わりに公園や自宅周辺を走ったり歩いたりする人もいます。手軽に始められるのが魅力ですね。
  • 社会人サークル・クラブ: 学生時代の経験を活かして、バスケ、フットサル、バドミントンなどの社会人サークルに入っている人もいます。運動不足解消だけでなく、新しいコミュニティでの交流も目的としているようです。
  • 通勤・通学時の工夫: 一駅手前で降りて歩いたり、エスカレーターではなく階段を使ったりと、日常生活の中で運動を取り入れている人もいます。
  • オンラインフィットネス: 最近増えているのが、自宅でできるオンラインフィットネス。ヨガや筋トレなど、多様なプログラムを自分のペースでできるのが人気です。

運動習慣がない人のパターン

  • 「時間がない」が口癖: 仕事が忙しく、運動する時間がないと感じている人が大半です。私もまさにこれです。
  • 「疲れていてそれどころじゃない」: 仕事でクタクタになり、帰宅後は休むことで精一杯という人も多いでしょう。
  • 「何から始めていいか分からない」: 運動しようと思っても、具体的に何をすればいいか分からず、結局行動に移せないパターン。
  • 「続かない」: 一度始めても、三日坊主で終わってしまう人も少なくありません。モチベーションの維持が難しいと感じているようです。

かくいう私も、完全に「運動習慣がない人」のパターンに当てはまります。「運動しなきゃなー」とは常に思っているのですが、なかなか重い腰が上がりません。

学生時代にバスケであれだけ動いていたのが嘘のようです。でも、やはり体を動かすことの重要性は感じています。健康のため、ストレス解消のため、そして何より、あの頃のように汗を流してスッキリしたいという気持ちも、心のどこかにはあります。

まとめ|部活動で得た経験と、これからの私

部活動で得たものと社会人の運動
  • 中学バスケ部で「本番に弱い」自分と向き合う経験
  • 練習での努力と、試合での成果のギャップに悩むも、チームワークの大切さを学ぶ
  • 社会人になって運動習慣が減り、健康への意識が高まる
  • 「時間がない」「疲れている」を言い訳にせず、できることから運動を取り入れたい

中学時代のバスケ部での経験は、私にとって本当に貴重なものでした。たとえスタメンでなくても、試合で活躍できなくても、「本番に弱い」という自分の特性に気づき、それとどう向き合うかを考えるきっかけを与えてくれました。

そして、何よりも、目標に向かって仲間と協力し、喜びや悔しさを分かち合うことの尊さを教えてくれたのは、あの3年間だったと思います。

今では運動から遠ざかっていますが、この記事を書きながら、もう一度体を動かしてみようかな、という気持ちが少しずつ湧いてきました。まずは、無理のない範囲で、ウォーキングから始めてみるのも良いかもしれません。

社会人の皆さんの中にも、「昔は運動してたんだけどな…」とか、「運動しなきゃと思ってるけどなかなか…」と感じている方がいるのではないでしょうか。もし良い運動方法や、継続の秘訣があれば、ぜひ教えてくださいね!

学生時代の部活動は、単に競技力を高めるだけでなく、人としての成長の場でもありました。あの頃の経験が、今の私を形作っている一部であることは間違いありません。

これからも、あの時バスケ部で培った「諦めない気持ち」を胸に、様々なことに挑戦していきたいです。そしていつか、またコートの上でボールを追いかける日が来たら、その時はきっと、もう少し「本番に強い」自分になっていることを願って。

 

 

普通に話すだけで、場が静まる。変なこと言ったって、自分でもわかってる

社会人になってから、雑談や打ち合わせで、話せば話すほど場が冷えていくのを感じる。

自分でも、変なことを言ってしまったってすぐに分かる。でも止められない。

言葉が口から出た瞬間、「あ、またやってしまった」と後悔するけど、もう戻せない。

昔からだった。中学の頃も、高校の頃も。日常のちょっとした会話の中で、自分の発言が浮いているのを感じていた。

最近は特に、ストレートな言葉で跳ね返される。

「ちょっと何言ってるか分からない」

笑いながら言われたけど、それは“理解しよう”というより、“距離を置く”ための言葉だった。

「話が通じない人」としてラベルを貼られた気がした。

説明しようとしても、またズレる。もう黙るしかなくなる。

制御できたら、どれだけ楽か

自分でも、どうしてそうなるのか分かってる。もっと普通に、相手に合わせて会話ができたら…って何度も思う。

でも、気づいた時には遅くて、言葉が出てしまってる。

そのあとに訪れる沈黙、視線、居心地の悪さ。全部、自分が原因なんだって思う。

制御できればどれだけ楽か。でも、それができない。

通院してる。でも全部は話せていなかった

ずっと病院に通ってる。でも、「変なことを言ってしまう自分」については、なんとなく濁してきた。

最近になって、はじめて本当のことを話した。

でも、その時担当していたのは初めて会う医師だった。

返ってきたのは、

「生活の工夫でなんとかなるよ」

あまりにも軽く言われて、言葉が出なかった。

「甘えですか?」って聞きたかった。

これが甘えなら、自分なんかまだまだだと思った

これで苦しいと思ってる自分が間違ってるのかな。
じゃあ、本当にしんどい人たちはどうなるんだろう。

「自分なんかまだ甘い」って思うことで納得しようとしたけど、心は納得してくれなかった。

本当はただ、認めてほしかった。

「それはつらいよね」って、一言言ってくれたら、それだけで少し楽になれたかもしれない。

このままだと終わる気がしている

社会人になって、もう“なんとなくやり過ごす”じゃ通用しなくなった。

これから何年も人と関わりながら働くのに、今のままだと本当に無理だと思ってる。

このままだと、どこに行っても「変なやつ」として扱われて、まともに関係が築けない。

そう思うと怖いし、苦しい。

それでも、書くしかなかった

こんなふうに生まれてきたくなかったって、何度も思った。

普通に雑談して、笑い合って、そんな些細なことができるだけで、どれだけ救われるか。

今も、「何かが壊れてしまう前に」と思って、こうして書いている。

誰かに届くか分からない。でも、少なくとも、自分には届いていてほしい。

人と関わるって、ずっと怖い

昔から「友達」ってどうやってなるのか分からなかった。

話しかけてもらっても、どう返したらいいか分からず、変なことを言ってしまう。

自分では一生懸命答えているのに、笑われたり、苦笑いされたり。

「こいつ、ちょっとおかしいな」って目をされるたびに、自分を隠すようになった。

それでも関係を失うのが怖くて、無理して話し続けてた。

でも社会人になると、そうやってごまかす余裕もなくなる。

「ちょっと何言ってるか分からない」って一言が、全部を否定された気がした。

変わりたい。でも、どうしたらいいか分からない

会話の本を読んだり、動画で学んだりもした。

でも実際の場面になると、頭が真っ白になる。

何を言えばいいのか、どうやって返せばいいのか、わからなくなる。

「これでまた変だと思われるかも」って考えすぎて、声が出なくなる。

話せても、またズレてるんじゃないかって不安になる。

それでも、話すことをやめたくはない。

どこかで「伝わるかもしれない」って希望を持っていたい。

完璧じゃなくていい。ただ、「話してよかった」と思える瞬間が、少しでもあるように。

日常の中にも「しんどさ」は潜んでいる

朝、職場に向かう電車の中でもずっと考えている。

「今日は変なこと言わないようにしよう」って。

でも、そう思えば思うほど、何も話せなくなる。

ランチに誘われても、自分が場を冷やしてしまう気がして断ってしまう。

かといって一人でいるのも、周りの目が気になる。

だからといって誰かに相談しようとすると、「考えすぎじゃない?」「そんなに気にしなくていいよ」と軽く返されてしまう。

そう言われるたび、「あ、やっぱり分かってもらえないんだ」と感じて、ますます言葉が出なくなる。

家に帰っても、頭の中ではその日自分が言ったこと、相手の表情、場の空気を何度も再生してしまう。

「あの一言、まずかったかな」「なんであんな話の流れにしてしまったんだろう」

寝る直前まで考え続けて、布団の中でも後悔ばかりが浮かんでくる。

眠りに落ちる頃にはもう深夜を回っていて、翌朝も疲れが抜けていない。

たった一言、ちょっとした間違い。それだけで心を全部持っていかれる。

「普通のやりとり」がどれだけ自分には難しいか、誰にも分かってもらえないまま今日もまた過ぎていく。

 

【悲報】毎日投稿、設定ミスで記録ストップ…正直めっちゃ凹んだ

毎日投稿、38日目の夜

続けてきた。たった38日かもしれない。でも、自分にとっては確かな“継続の証”だった。

1日1本、毎晩書いては投稿し、誰に見られなくても更新し続ける。そんなブログの毎日投稿が、とうとう途切れた。

原因は、ただのミス。予約投稿の日付設定の間違い。— それだけ。

なのに、心に残ったのは“虚しさ”と“悔しさ”。こんなことで止まってしまったのか、と。ブログを始めてから毎日投稿を続け、38日目でやってしまった。

たった1日投稿が抜けただけ。たった1本投稿できなかっただけ。でも、心には思った以上に重たくのしかかった。

投稿が止まると、時間も止まった

それは金曜日の夜だった。朝から仕事、夜は「たまには」とひとりで飲んで、気持ちよく布団に転がっていた。

いつもなら、「今日も書けたな」と心の中で小さくガッツポーズして眠りに入る。

でもその夜、ふと「今日の記事、ちゃんと出てたよな?」とスマホを手に取り、確認する。

……ブログトップに、記事がない。

次の瞬間、胸がヒュッと縮まる感覚。スマホを片手に、一気に酔いが覚める。

「やばい、まさか…」

予約投稿の設定を開いてみる。確認していたつもりの投稿日時が、なんと翌日の日付になっていた。つまり、今日の投稿はまだされていなかった。

これまで何度も確認してきた操作なのに。慣れた作業のはずなのに。よりによって今日、ミスをした。

固まった。全身が。息も止まった。

あまりのショックに、2〜3分は完全に固まっていた。スマホを見たまま動けなかった。

おかしな話かもしれないけど、あまりに感情が混ざって、なんだか身体が勝手に反応してしまった。それくらい、「あっ、やっちまった」という瞬間のインパクトがでかすぎた。

感情があふれて、頭の中は真っ白になり、何も考えられなくなった。

このまま布団をかぶって寝てしまいたかった。でも、それは違うと思った。

「どうせなら、この失敗そのものを書こう」

そう思い直し、すぐにパソコンを開いて、この記事の原稿を書き始めた。

気づいたときには、すでに手がキーボードを叩いていた。

なぜ、そこまで悔しかったのか

自分でも不思議だった。38日しか続いていない。誰にも読まれてない。PVも増えてない。AdSenseも微々たるもの。

それなのに、なぜこんなに悔しかったのか?

たぶん、「続けてきた自分」と「途切れさせた自分」が正面からぶつかったからだと思う。

続けるって、すごく地味だ。アクセスも反応もなく、ただひたすら書いて投稿する。その小さな積み重ねが、唯一自分に残った“記録”だった。

それを自分の手で壊した感覚。それが、一番キツかった。

そして、その“キツさ”を誰かにぶつけることもできなかったのが、より一層苦しかった。

毎日投稿という“意味”

なぜ毎日投稿をしていたのか。理由は明確だった。

  • 人生を記録として残したかった
  • ブログ運営に挑戦したかった
  • いつか生活を支える何かにしたかった

でも、一番は「自分の中の習慣」を作ることだった。何かを継続して、結果がどうであれ“自分を裏切らない”こと。

38日間、毎日投稿をして、いつの間にか「書かないと落ち着かない」状態になっていた。

だからこそ、ミスしたことが、自分の信頼を裏切ったようでキツかった。

「お前は毎日書くって言ったじゃん」と、内なる声が自分を責めていた。

誰にも話せなかった

この失敗、リアルでは誰にも言っていない。

というより、毎日投稿していたことさえ話していない。

ブログは、完全に“自分だけの場所”だった。だからこそ、その場所が壊れたような気がして、余計に悔しかった。

誰にも知られていないからこそ、自分の中の“感情”だけがすべてになる。

その感情に押し潰されそうだった。でも、だからこそ書こうと思った。この出来事は、自分の記録として残さなきゃ意味がない。

「記録にして、形にして、流さないと終われない」そんな感覚だった。

すぐに立ち直れた理由

不思議なことに、落ち込んだあとすぐに「よし、書こう」と思えた。

理由は単純で、「書くこと」が自分にとって、すでに“日常”になっていたから。

記事を書くことで、感情が整う。投稿することで、ひと区切りつけられる。

だからミスがあっても、自然と「そのことを書くしかない」と感じた。

そしてそれが、次の1日を再スタートさせるためのスイッチにもなった。

今思えば、数字に囚われてた

PVは少ない。収益もない。読者は22人だけ。コメントは1件。

それでも、「続けている」ことが唯一の“自信”だった。

だけど、気づけばその「続けている」という事実を、“数字”で評価してしまっていた。

「38日続けたのに、読者が増えない」
「これだけ書いてるのに、収益が出ない」

知らないうちに、継続と成果を同じ天秤に乗せていた。

でも、よく考えたら数字は結果であって、目的じゃない。

書くことの目的は「見られること」じゃなくて、「残すこと」だったはずだ。

続ける理由は、収益じゃなくて、“自分の人生を言葉で刻むため”だった。

そして、この記事を書いている今、その原点を思い出している。

でもやっぱり、読まれたい

とはいえ、やっぱり誰かに読まれたい。

正直、「共感」も「PV」も「読者数」も欲しい。

数字がすべてじゃないけど、やっぱり増えたら嬉しい。

反応が返ってきたら、救われた気持ちになる。

「この記事、わかる」とか「参考になった」とか、ほんのひとことが胸に沁みる。

だから、もっと伝わるように、もっと共感してもらえるように、文章を書き続けたい。

でも、今回のミスで強く思った。

“続ける”ことのほうが、先にあるべきだ。

共感は、そのあと。数字は、結果。

自分との約束を守り続けることが、最優先だ。

深夜の無音、心の声だけが響く

深夜、自分だけが知っている小さな失敗。誰も気づかない。でも、心の中ではサイレンが鳴っていた。

「また明日から続ければいいじゃん」
「そんなミス、誰にも関係ないでしょ」
「いやいや、ここで諦めたら全部台無しだぞ」

頭の中で、いろんな自分がしゃべっていた。

寝ようと思っても寝付けない。布団の中で、スマホを握りしめたまま天井を見てた。

「続けることって、何なんだろう」

その問いがぐるぐる回る。正解は出ない。でも、また1行ずつ文字を書いていくことで、自分の気持ちが少しだけ軽くなっていくのを感じた。

「続ける」が持つ力

続けるって、すごい力だ。

目立たないけど、ジワジワ効いてくる。たとえ誰も見ていなくても、自分にだけは響いてくる。

私は、ブログを始めたときこう思っていた。「誰にも見られなくてもいい、まずは続けよう」

でも現実は、PVが伸びないと落ち込むし、反応がないと虚しくなる。

ただ、それでも続けると“自信”みたいなものが生まれてくる。実績でも評価でもない、「俺は続けてるぞ」という、根拠のない自信。

それを38日かけてようやく掴みかけていたから、途切れたときのダメージが大きかった。

だから、もう一度その気持ちを取り戻すためにも、この記事を書いている。

ブログが日常の一部になっていた

「夜になったらブログを書く」

これは、誰に決められたわけでもないけど、もう自分の生活の流れに組み込まれていた。

ご飯を食べて、風呂に入って、ブログを書く。それが毎日の自然なルーチンだった。

だからこそ、「書かなかった日」がぽっかりと穴になってしまった。

ただの予約投稿ミス。それでも、自分の生活リズムごと崩れたような気分だった。

1日の終わりに「今日も投稿した」と思えるだけで、精神的な安定感が違っていた。

チェックリストという防具

今回の件で、ようやく気づいた。

「慣れてきたときこそ、基本を見落とす」

投稿前のチェックが、いつの間にか“なんとなく”になっていた。

確認していたつもりだった。でも、実際は見ていなかった。

だから、これからは「投稿前チェックリスト」を自分のルールにした。

  • 日付と時間の確認(2回)
  • ステータスが「下書き」じゃないか確認
  • 投稿直後に実際のブログを表示して確認
  • タイトル・タグ・URLの見直し
  • PCとスマホの両方で最終確認

めんどくさい。でも、あの悔しさをもう一度味わうくらいなら、毎日5分のチェックなんて安いもんだ。

むしろ、この5分こそが“継続”を支える防具だと思った。

犠牲にしていたもの、でも後悔していない

毎日投稿をしていると、それなりに削られる。

自由な夜の時間。のんびりYouTubeを見る時間。睡眠時間。

友達と連絡を取ることも減ったし、スマホゲームは完全にやめた。

でも、それでも後悔はしていない。

なぜなら、「自分にしかできない何かを積み上げている」という実感があったから。

PVが少ない。読者が増えない。それでも、自分の言葉がひとつずつ積もっていく。

それって、目に見えにくいけど、確実に残る“人生の跡”だと思う。

そして、いつかそれが誰かの道標になるかもしれないと、どこかで信じている。

誰にも言われないけど、自分が見てる

これまで、ブログのことは誰にも話していない。

毎日投稿していることも、PVが少ないことも、誰にも打ち明けていない。

だから、失敗しても怒られるわけじゃない。責められることもない。

でも、それが逆にきつい。

自分しか、自分の努力を見ていない。

だからこそ、「自分を裏切る」という感覚が強くなる。

何も言わなくても、自分が一番わかっている。どれだけ手を抜いたか。どれだけ誤魔化そうとしたか。

だから、たとえ小さな投稿ミスでも、自分の中では重くのしかかる。

継続は、他人の評価じゃなくて、自分との約束だ。

それでも続ける理由

よく考えてみると、別に毎日投稿じゃなくてもいい。

週に3回でも、毎週日曜だけでも、自分のペースで更新すればいい。

それでも私は「できる限り、毎日投稿を続けたい」と思っている。

理由はシンプルで、「続けていれば、何かが変わると信じているから」

今はまだ読まれていない。PVも少ない。収益もほぼゼロ。

でも、それでも続ける中で、少しずつ積み重なっていくものがあると信じている。

ブログを通じて、伝える力が育つかもしれない。記録が財産になるかもしれない。

そして何より、「やめなかった」という実績は、いつか必ず自信になる。

理想の未来と、今の現実

「いつか、ブログで生活できたら」
「いつか、毎日何百人も読んでくれるようになったら」

そんな理想を描くこともある。

でも、現実は違う。今のアナリティクスには、たった一桁のPVが並んでいる。

それでも、誰か1人が読んでくれているなら、それはもう“誰かの時間をもらえた”ということ。

その人に届く言葉を書けたなら、それだけで意味がある。

このことに気づいてからは、たとえPVが1でも、やっぱり書きたいと思えるようになった。

読者と、いつか出会いたい人へ

今の自分のブログを読んでくれている人は、ほんの数人かもしれない。

でも、その中で「本音で書いてるな」「なんか分かるな」って感じてくれる人が1人でもいたら嬉しい。

そして、この記事を読んでくれているあなたが、もしブログに挫折しそうだったら、伝えたい。

「失敗しても大丈夫。やめなければ、継続は続く。」

たった1日のミスで、自分を否定しないでほしい。

どんなに真面目にやってても、うっかりはある。

人間だから仕方ない。それでも、「また書く」ことができるなら、それはもう継続だ。

たった1回のミスで、38日をゼロにしないでいい。

ちゃんと積み重ねた38日がある。そこに、39日目を加えよう。

これからの自分に向けて

この記事を書いている今、正直、眠い。深夜で目もショボショボしてる。

でも、これはちゃんと記録しておきたかった。

たとえこの記事が誰にも読まれなくても、「あの日、自分が何を感じ、どう動いたか」をちゃんと残しておきたかった。

次にまた同じミスをしたとき、きっとこの記事が助けてくれる。

「やらかしても、また戻ってくればいいんだ」って。

だから、私はこれからも書き続ける。

完璧じゃなくていい。100点じゃなくていい。でも、止まらず、進み続けたい。

この気持ちがある限り、私は大丈夫だ。

やめない理由が、ひとつでもあればいい

たまに思う。「どうせ誰も読んでないんだから、やめてもいいんじゃないか」って。

書いても誰にも届かない。評価もされない。フォロワーもいない。SNSもやっていない。

孤独な作業を毎日続ける意味、あるのかな?って。

でも、そんな中でもやめなかったのは、自分の中に“ひとつでもやめない理由”があったから

自分の気持ちを整理するため。言葉にして残すため。誰か1人にでも届いたらという希望のため。

小さな動機でいい。正直、ちょっと意地になってるところもある。

でも、それでもいいと思う。継続って、そういう積み重ねなんだと思う。

また今日から始める

投稿が途切れても、また続ければいい。

カレンダーが空白になっても、またそこから埋めていけばいい。

大事なのは「止まったこと」じゃなくて、「再開したこと」。

そして、「また始められた自分」を、自分でちゃんと褒めてあげること。

私はこの投稿ミスから、スケジュール管理の甘さも、確認不足も、全部痛感した。

でも、それ以上に「自分はやめないんだな」ってことにも気づけた。

もう一度、ここからスタートすればいい。

そして、また新たに“継続の証”を積み上げていけばいい。

これからブログを始める人へ

この記事を読んでくれているあなたが、これからブログを始めようとしている人なら。

まず、完璧を目指さなくていい

最初は何を書いたらいいか分からないし、誰も読んでくれないし、PVもゼロに近い。

でも、それでも書き続ければ、いつかは“誰かの時間を奪える文章”になる。

ブログって、努力がすぐには見えない。

でも、自分の言葉はちゃんと積もっていく。

だから、まずは「今日1本」だけでも書いてみてほしい。

そして、続けてみてほしい。

最初の1歩は小さくても、振り返ったときにそれが道になる。

過去の自分へ、そして未来の自分へ

最後に、この記事を書いている今の私が、38日間頑張って続けた「過去の自分」へ、こう伝えたい。

よくやった。ミスしても、お前はちゃんと戻ってきた。

ミスは痛かった。でも、そのおかげで気づけたこともたくさんある。

これから先、何度でもミスはあるだろう。

でも、また書けばいい。また始めればいい。

そして、「未来の自分」へ。

もしこの先、また投稿を飛ばしたり、やる気をなくしたり、辞めそうになっていたら。

このときのことを思い出して。

投稿が止まっても、気持ちがある限り、継続は止まらない。

何度ミスっても、また戻ってこい。

俺たちは、そうやってやってきた。

まとめ:やらかしても、続ける価値がある

毎日投稿が途切れた。たった1日の投稿ミス。

でも、その出来事から学んだこと、感じたこと、変わったことは、数えきれないほどあった。

記事の公開時間、予約投稿の設定、確認作業、生活のリズム、心の切り替え、そして継続する意味。

全部、書いて初めて整理できた。

ブログって、やっぱり「自分を見つめる場所」だと思う。

だから、またここから続けていく。

やらかしてもいい。だけど、書くのをやめなければ、それでいい。

この言葉を、自分に、そして読んでくれたあなたに贈ります。

 

 

 

 

 

【Google AdSense再審査】一週間と一日空けて再申請。

こんにちは。昨日、Google AdSenseの再審査を申請しました。

前回の不承認から、あえて1週間と1日の間を空けて再チャレンジしています。
この期間中にできる限りのこと――

  • 記事の内容の見直し
  • カテゴリの整理
  • デザインや構成の調整
  • プライバシーポリシー・お問い合わせページの修正

正直、前回の審査落ちの通知はざっくりしていて、「ポリシー違反」という一文のみ。
具体的に何が悪かったのかまではわかりませんでした。

ポリシー違反って…何がダメだったの?

私は「暴力的」「アダルト」「不正クリック」などのNGジャンルには全く触れておらず、記事も節約・投資・日常系がメインです。

投資系の記事についても、自分の体験ベースで過激な表現は避け、誤解を招くような内容は書いていないつもりでした。

でも、もしかしたらGoogle側では「収益に関する誤解を招く可能性がある」と判断されたのかもしれません。

AdSenseの審査って本当に繊細だなと痛感しています。

この一週間でやったこと

  • 見出し(h2・h3)の整理:記事の構成をより明確に
  • 画像の見直し:著作権フリー素材に統一
  • プライバシーポリシーの強化:内容を明文化
  • リンクの整理:外部リンク・アフィリエイトリンクの削除

どれも地道な作業ですが、「何か引っかかっていたかもしれない部分」を徹底的に潰しました。

ブログのジャンルと投稿状況

このブログは、節約ネタ・投資メモ・日常の気づきなど、ジャンルは少し幅広い「雑記系」です。

現在は毎日投稿中。とにかく継続することを意識して、ネタを探しながら書き続けています。

ただ、PV数はあまり増えていません。それが原因で「価値の低いコンテンツ」と見なされたのかも…と不安に思うこともあります。

毎日書いても報われない?

毎日投稿していると、時間も労力も使います。
それでも読まれない、審査も通らない…そんな状況に、正直、心が折れそうになることもあります。

でも、少しずつでも改善を重ねて、「次こそは!」と信じて続けています。

合格した人に本気で聞きたい

ここで、もしこの記事を読んでくださっている方の中に、Google AdSenseに合格された方がいたら、本当にお願いがあります。

あなたは、どうやって合格しましたか?

  • 記事数・投稿ペースはどのくらい?
  • どんなジャンルで申請した?
  • どこを重点的に修正した?
  • 「ポリシー違反」に引っかからないために気をつけたことは?

ネットにはいろんな情報がありますが、リアルな声・実体験ほど信頼できるものはありません。

コメント欄でも、SNS経由でも大歓迎です。
たった一言でもアドバイスをいただけたら、本当にありがたいです。

AdSenseって、やっぱり難しい。

合格する人がいる一方で、何度も落ちる人もいます。
テンプレート通りにやっても通らない。ポリシーに沿っているはずなのに、何がダメか分からない。

私もその一人です。

だからこそ、「これをやったら受かったよ」という体験談は、貴重な情報です。

これからAdSense申請を考えている人、今まさに挑戦している人、何度も落ちて不安になっている人――

そんな方々に向けて、この記事が少しでも参考になれば嬉しいです。

私も結果が出たら、また正直に報告しようと思います。

それでも、ブログを続ける理由

正直なところ、審査に落ちたときは結構落ち込みました。
「こんなに時間をかけて記事を書いて、何も評価されないのか…」
「自分のやってることって、意味あるのかな…」
そんな気持ちが、何度も頭をよぎりました。

でも、書くことが好きなんです。
そして、自分が発信した情報が、誰かの役に立ったり、共感してもらえたりする瞬間があることも知っています。

AdSenseに通りたい理由も、単に「収益がほしいから」だけじゃありません。
自分のブログが「価値あるコンテンツ」として認められた、という証明になる気がして。

だから、これからも試行錯誤しながら、少しずつでも前に進みたいと思っています。

もしかしたら、この文章を読んで「自分も同じだ」と思ってくれる方がいるかもしれません。
そういう方がいれば、ぜひコメントで教えてください。

同じように挑戦している仲間がいる。
それだけで、もう少し頑張れる気がします。

最後に

Google AdSense、やっぱり難しいです。
でも、だからこそ通った時の喜びは大きいと思っています。

試行錯誤を重ねながら、これからも続けていきます。

もしよければ、あなたの体験をコメントでシェアしてください。
あなたの一言が、私を含め、たくさんのブロガーの支えになるはずです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!