はじめに(酷暑と節約の狭間で)
通勤の電車で息苦しくなるほどの汗と、高温のホームでふらつく感覚――
「本当にこれ、仕事に行く前の日常でいいのか?」と、何度も自問してきました。エアコンをつけたいのに「電気代が怖い」──これは命に関わる問題であり、決して個人の怠惰ではありません。
私(20代会社員)は節約の一環として冷房を控えた結果、熱中症の初期症状と感じる頭痛と倦怠感に悩まされました。今年は政府が「節電してください」と呼びかけても、生活の余裕がなければ、それは「自己責任」という名の押しつけにしか聞こえません。
生活費が上がる一方で、賃金は追い付かない
2024~2025年にかけて、電力小売価格は1kWhあたり約36.7円という高水準が続き、2025年1月には燃料費調整額が+6.5円/kWhにまで上昇しました 。
さらに2025年4月の食料品価格は前年比+6.5%、特にキャベツなど野菜が3倍の価格高騰を記録しました 。その結果、私はほぼ毎日「パスタ生活」。栄養の偏りに加え、味気ないメニューが心を削っていきます。
それにもかかわらず、日本の実質賃金は過去30年で約11%減少し、2025年4月時点でも名目賃金の上昇(+2.3%)が物価上昇に追いついていません 。つまり、電気代も食費も高くなっているのに、収入は増えないままなのです。
税金は取るのに、何も戻ってこない構造
給料明細には、健康保険・年金・雇用保険・所得税・住民税が20%以上天引きされ、買い物でも消費税10%(食料品は8%)が容赦なく課せられます。それなのに、手元には何も戻ってきません。
日本は「再分配国家」と称されますが、実態は違います。災害や緊急時の支援を除けば、社会保障やインフラに還元されている実感は皆無。私たちは汗をかいて税を収めているのに、そのお金が「政治のノイズ」や「行政の無駄遣い」に消えていく現実に怒りを覚えます。
政府は本気で動いているのか? 無策に感じる若者の現実
政府は「燃料費補助」や「電気代補助」を打ち出しましたが、実際に支援対象になるのは低所得世帯に限られるのが現状です。20代正社員や非正規労働者には届かず、「自分には縁がない」と感じる若者が大半です。
支援制度の申請には複雑な書類やオンライン手続きが必要で、多くの若者が「面倒だから」と初動で諦めています。一方で「節電してください」というキャンペーンが盛んに繰り返され、「企業への配慮」が優先されているように見えるのが不安です。
構造的問題の底なし:なぜ賃金は上がらないのか
これらの要因が重なり、何%の賃金アップでは追いつかない構造が維持されています。
精神面への影響:生活苦が心を蝕む日常
繰り返されるパスタ生活、冷房を我慢する日々、税金ばかりが膨らむストレス……。これらが積み重なると、精神的にもぎりぎりの日常になります。
「どうせ声を上げても届かない」と感じる若者が増え、SNSや掲示板では「もう限界」「死にたい」といった投稿が後を絶ちません。私も、眠れない夜が増え、仕事中も頭痛を抱えて過ごす日々を送っています。
リアルな苦しみ:夜中、リモコンに手が伸びない悲しさ
夜中に汗で目が覚める。部屋は蒸し風呂のようで、冷房のない夜は息苦しいのに、リモコンには手が伸びない。
先月の電気代は1万円を超えてしまい、「もう耐えられない」と震えました。それでも、今月は抑えるしかない生活です。
「パスタだけでいい」でも、本当は飽きてる自分がいる
パスタメニューも、「安いソースに乾麺」「納豆ご飯」、スーパーの半額惣菜…飽き飽きしています。でも外食する余裕はありません。
昔は遠慮なく「おにぎりと味噌汁」を食べていたのに、それすら贅沢になりました。「贅沢」って、どんなレベルの生活のことなんだろう。
夏が来るのが怖い
今年の夏は特に怖いです。朝、窓を開けただけで体温が上がる。通勤するだけで汗が止まらず、途中の駅で倒れそうになることも。
会社のエアコンだけが唯一の救い。でも帰宅後の部屋は地獄。つけたいけどつけられない。
「なんでこんな思いまでして働いているんだろう」と自問する日々
よく働いても給料が上がらない。税金は増える。将来の年金も不安。子どもや家を持つ未来なんて想像できない。
こんな思いを抱えながら働き続けるのは、心のどこかで諦めに繋がっているのかもしれません。
なぜ、「贅沢品」になってしまったのか
数年前までは当たり前だったことが、今では「贅沢」になってしまった。
コンビニでちょっとしたスイーツを買う、100円のアイスを食べる、映画館でリフレッシュする、エアコンをつけて夜を快適に過ごす――そのどれもが、今の自分にとって「無駄な出費」と思わなければやっていけない現実です。
「ちょっとくらいいいじゃん」と自分を甘やかそうとすると、すぐに「来月の家賃、大丈夫かな?」という不安が湧いてくる。
この国で普通に生きているだけなのに、なぜこんなにも身動きが取れなくなってしまったのでしょうか。
周囲と比べて落ち込む自分がいる
SNSを開くと、休日に旅行へ行ったり、カフェでくつろいだりしている人たちの投稿が並びます。
「自分も本当は行きたい。自分だってそうしたい。」
でも今の生活では、交通費すら惜しい。外食すらもったいない。心の中で、「あの人は特別なんだ」「自分とは違う」と自分を納得させるしかない。
でも、心のどこかでは傷ついているのを知っている。比べてしまうことすら、つらくなる。
「なんで頑張っても報われないんだろう」
真面目に働いているのに生活が苦しい。
税金も払っているのに、将来の保証もなく、困ったときに誰かが助けてくれるわけでもない。
「何か間違ってる」って思うけど、自分にできることが分からない。
それでも、誰かが声を上げなければ、このままずっと「エアコンをつけるかどうか迷う生活」が続いてしまう。
本当に必要なのは、安心して暮らせる社会
エアコンをつけたって、食事を楽しんだって、それが「普通の生活」であるべきだと思う。
最低限の快適さを得ることが贅沢だなんて、そんな国はもうおかしい。
もっと安心して暮らせるように。心と体を壊す前に、何かを変えたい。変わってほしい。
変えていきたい、声を上げたい
- 若者にも届く電気代補助制度の拡大
- 消費税還付・減税制度の導入
- 最低賃金1,500円以上への引き上げ
- 精神保健サポートの無償・匿名提供
- 生活支援給付金の定常化
これらは政治や社会が真剣に取り組むべき課題です。そして、私たちの声と行動が、少しずつ制度を変えていく第一歩になるはずです。
締め:息をするだけで精一杯の社会は、もう終わりにしよう
汗だくで通勤してパスタだけの食卓に、税金に怯える夜。これは贅沢でも甘えでもなく、今の私たちのリアルです。
でも、「エアコンすらつけられない生活」は、「命を大切にできない社会」の象徴ではないでしょうか。
だから、声を上げる。行動を起こす。同じ思いを抱える仲間と手を取り合って、変革の一歩を踏み出したい。
もし、あなたが少しでも「分かる」と思ったら、まずはこの話をシェアしてください。コメントしてください。一緒に、変えていきましょう。