毎日投稿、38日目の夜
続けてきた。たった38日かもしれない。でも、自分にとっては確かな“継続の証”だった。
1日1本、毎晩書いては投稿し、誰に見られなくても更新し続ける。そんなブログの毎日投稿が、とうとう途切れた。
原因は、ただのミス。予約投稿の日付設定の間違い。— それだけ。
なのに、心に残ったのは“虚しさ”と“悔しさ”。こんなことで止まってしまったのか、と。ブログを始めてから毎日投稿を続け、38日目でやってしまった。
たった1日投稿が抜けただけ。たった1本投稿できなかっただけ。でも、心には思った以上に重たくのしかかった。
投稿が止まると、時間も止まった
それは金曜日の夜だった。朝から仕事、夜は「たまには」とひとりで飲んで、気持ちよく布団に転がっていた。
いつもなら、「今日も書けたな」と心の中で小さくガッツポーズして眠りに入る。
でもその夜、ふと「今日の記事、ちゃんと出てたよな?」とスマホを手に取り、確認する。
……ブログトップに、記事がない。
次の瞬間、胸がヒュッと縮まる感覚。スマホを片手に、一気に酔いが覚める。
「やばい、まさか…」
予約投稿の設定を開いてみる。確認していたつもりの投稿日時が、なんと翌日の日付になっていた。つまり、今日の投稿はまだされていなかった。
これまで何度も確認してきた操作なのに。慣れた作業のはずなのに。よりによって今日、ミスをした。
固まった。全身が。息も止まった。
あまりのショックに、2〜3分は完全に固まっていた。スマホを見たまま動けなかった。
おかしな話かもしれないけど、あまりに感情が混ざって、なんだか身体が勝手に反応してしまった。それくらい、「あっ、やっちまった」という瞬間のインパクトがでかすぎた。
感情があふれて、頭の中は真っ白になり、何も考えられなくなった。
このまま布団をかぶって寝てしまいたかった。でも、それは違うと思った。
「どうせなら、この失敗そのものを書こう」
そう思い直し、すぐにパソコンを開いて、この記事の原稿を書き始めた。
気づいたときには、すでに手がキーボードを叩いていた。
なぜ、そこまで悔しかったのか
自分でも不思議だった。38日しか続いていない。誰にも読まれてない。PVも増えてない。AdSenseも微々たるもの。
それなのに、なぜこんなに悔しかったのか?
たぶん、「続けてきた自分」と「途切れさせた自分」が正面からぶつかったからだと思う。
続けるって、すごく地味だ。アクセスも反応もなく、ただひたすら書いて投稿する。その小さな積み重ねが、唯一自分に残った“記録”だった。
それを自分の手で壊した感覚。それが、一番キツかった。
そして、その“キツさ”を誰かにぶつけることもできなかったのが、より一層苦しかった。
毎日投稿という“意味”
なぜ毎日投稿をしていたのか。理由は明確だった。
- 人生を記録として残したかった
- ブログ運営に挑戦したかった
- いつか生活を支える何かにしたかった
でも、一番は「自分の中の習慣」を作ることだった。何かを継続して、結果がどうであれ“自分を裏切らない”こと。
38日間、毎日投稿をして、いつの間にか「書かないと落ち着かない」状態になっていた。
だからこそ、ミスしたことが、自分の信頼を裏切ったようでキツかった。
「お前は毎日書くって言ったじゃん」と、内なる声が自分を責めていた。
誰にも話せなかった
この失敗、リアルでは誰にも言っていない。
というより、毎日投稿していたことさえ話していない。
ブログは、完全に“自分だけの場所”だった。だからこそ、その場所が壊れたような気がして、余計に悔しかった。
誰にも知られていないからこそ、自分の中の“感情”だけがすべてになる。
その感情に押し潰されそうだった。でも、だからこそ書こうと思った。この出来事は、自分の記録として残さなきゃ意味がない。
「記録にして、形にして、流さないと終われない」そんな感覚だった。
すぐに立ち直れた理由
不思議なことに、落ち込んだあとすぐに「よし、書こう」と思えた。
理由は単純で、「書くこと」が自分にとって、すでに“日常”になっていたから。
記事を書くことで、感情が整う。投稿することで、ひと区切りつけられる。
だからミスがあっても、自然と「そのことを書くしかない」と感じた。
そしてそれが、次の1日を再スタートさせるためのスイッチにもなった。
今思えば、数字に囚われてた
PVは少ない。収益もない。読者は22人だけ。コメントは1件。
それでも、「続けている」ことが唯一の“自信”だった。
だけど、気づけばその「続けている」という事実を、“数字”で評価してしまっていた。
「38日続けたのに、読者が増えない」
「これだけ書いてるのに、収益が出ない」
知らないうちに、継続と成果を同じ天秤に乗せていた。
でも、よく考えたら数字は結果であって、目的じゃない。
書くことの目的は「見られること」じゃなくて、「残すこと」だったはずだ。
続ける理由は、収益じゃなくて、“自分の人生を言葉で刻むため”だった。
そして、この記事を書いている今、その原点を思い出している。
でもやっぱり、読まれたい
とはいえ、やっぱり誰かに読まれたい。
正直、「共感」も「PV」も「読者数」も欲しい。
数字がすべてじゃないけど、やっぱり増えたら嬉しい。
反応が返ってきたら、救われた気持ちになる。
「この記事、わかる」とか「参考になった」とか、ほんのひとことが胸に沁みる。
だから、もっと伝わるように、もっと共感してもらえるように、文章を書き続けたい。
でも、今回のミスで強く思った。
“続ける”ことのほうが、先にあるべきだ。
共感は、そのあと。数字は、結果。
自分との約束を守り続けることが、最優先だ。
深夜の無音、心の声だけが響く
深夜、自分だけが知っている小さな失敗。誰も気づかない。でも、心の中ではサイレンが鳴っていた。
「また明日から続ければいいじゃん」
「そんなミス、誰にも関係ないでしょ」
「いやいや、ここで諦めたら全部台無しだぞ」
頭の中で、いろんな自分がしゃべっていた。
寝ようと思っても寝付けない。布団の中で、スマホを握りしめたまま天井を見てた。
「続けることって、何なんだろう」
その問いがぐるぐる回る。正解は出ない。でも、また1行ずつ文字を書いていくことで、自分の気持ちが少しだけ軽くなっていくのを感じた。
「続ける」が持つ力
続けるって、すごい力だ。
目立たないけど、ジワジワ効いてくる。たとえ誰も見ていなくても、自分にだけは響いてくる。
私は、ブログを始めたときこう思っていた。「誰にも見られなくてもいい、まずは続けよう」
でも現実は、PVが伸びないと落ち込むし、反応がないと虚しくなる。
ただ、それでも続けると“自信”みたいなものが生まれてくる。実績でも評価でもない、「俺は続けてるぞ」という、根拠のない自信。
それを38日かけてようやく掴みかけていたから、途切れたときのダメージが大きかった。
だから、もう一度その気持ちを取り戻すためにも、この記事を書いている。
ブログが日常の一部になっていた
「夜になったらブログを書く」
これは、誰に決められたわけでもないけど、もう自分の生活の流れに組み込まれていた。
ご飯を食べて、風呂に入って、ブログを書く。それが毎日の自然なルーチンだった。
だからこそ、「書かなかった日」がぽっかりと穴になってしまった。
ただの予約投稿ミス。それでも、自分の生活リズムごと崩れたような気分だった。
1日の終わりに「今日も投稿した」と思えるだけで、精神的な安定感が違っていた。
チェックリストという防具
今回の件で、ようやく気づいた。
「慣れてきたときこそ、基本を見落とす」
投稿前のチェックが、いつの間にか“なんとなく”になっていた。
確認していたつもりだった。でも、実際は見ていなかった。
だから、これからは「投稿前チェックリスト」を自分のルールにした。
- 日付と時間の確認(2回)
- ステータスが「下書き」じゃないか確認
- 投稿直後に実際のブログを表示して確認
- タイトル・タグ・URLの見直し
- PCとスマホの両方で最終確認
めんどくさい。でも、あの悔しさをもう一度味わうくらいなら、毎日5分のチェックなんて安いもんだ。
むしろ、この5分こそが“継続”を支える防具だと思った。
犠牲にしていたもの、でも後悔していない
毎日投稿をしていると、それなりに削られる。
自由な夜の時間。のんびりYouTubeを見る時間。睡眠時間。
友達と連絡を取ることも減ったし、スマホゲームは完全にやめた。
でも、それでも後悔はしていない。
なぜなら、「自分にしかできない何かを積み上げている」という実感があったから。
PVが少ない。読者が増えない。それでも、自分の言葉がひとつずつ積もっていく。
それって、目に見えにくいけど、確実に残る“人生の跡”だと思う。
そして、いつかそれが誰かの道標になるかもしれないと、どこかで信じている。
誰にも言われないけど、自分が見てる
これまで、ブログのことは誰にも話していない。
毎日投稿していることも、PVが少ないことも、誰にも打ち明けていない。
だから、失敗しても怒られるわけじゃない。責められることもない。
でも、それが逆にきつい。
自分しか、自分の努力を見ていない。
だからこそ、「自分を裏切る」という感覚が強くなる。
何も言わなくても、自分が一番わかっている。どれだけ手を抜いたか。どれだけ誤魔化そうとしたか。
だから、たとえ小さな投稿ミスでも、自分の中では重くのしかかる。
継続は、他人の評価じゃなくて、自分との約束だ。
それでも続ける理由
よく考えてみると、別に毎日投稿じゃなくてもいい。
週に3回でも、毎週日曜だけでも、自分のペースで更新すればいい。
それでも私は「できる限り、毎日投稿を続けたい」と思っている。
理由はシンプルで、「続けていれば、何かが変わると信じているから」。
今はまだ読まれていない。PVも少ない。収益もほぼゼロ。
でも、それでも続ける中で、少しずつ積み重なっていくものがあると信じている。
ブログを通じて、伝える力が育つかもしれない。記録が財産になるかもしれない。
そして何より、「やめなかった」という実績は、いつか必ず自信になる。
理想の未来と、今の現実
「いつか、ブログで生活できたら」
「いつか、毎日何百人も読んでくれるようになったら」
そんな理想を描くこともある。
でも、現実は違う。今のアナリティクスには、たった一桁のPVが並んでいる。
それでも、誰か1人が読んでくれているなら、それはもう“誰かの時間をもらえた”ということ。
その人に届く言葉を書けたなら、それだけで意味がある。
このことに気づいてからは、たとえPVが1でも、やっぱり書きたいと思えるようになった。
読者と、いつか出会いたい人へ
今の自分のブログを読んでくれている人は、ほんの数人かもしれない。
でも、その中で「本音で書いてるな」「なんか分かるな」って感じてくれる人が1人でもいたら嬉しい。
そして、この記事を読んでくれているあなたが、もしブログに挫折しそうだったら、伝えたい。
「失敗しても大丈夫。やめなければ、継続は続く。」
たった1日のミスで、自分を否定しないでほしい。
どんなに真面目にやってても、うっかりはある。
人間だから仕方ない。それでも、「また書く」ことができるなら、それはもう継続だ。
たった1回のミスで、38日をゼロにしないでいい。
ちゃんと積み重ねた38日がある。そこに、39日目を加えよう。
これからの自分に向けて
この記事を書いている今、正直、眠い。深夜で目もショボショボしてる。
でも、これはちゃんと記録しておきたかった。
たとえこの記事が誰にも読まれなくても、「あの日、自分が何を感じ、どう動いたか」をちゃんと残しておきたかった。
次にまた同じミスをしたとき、きっとこの記事が助けてくれる。
「やらかしても、また戻ってくればいいんだ」って。
だから、私はこれからも書き続ける。
完璧じゃなくていい。100点じゃなくていい。でも、止まらず、進み続けたい。
この気持ちがある限り、私は大丈夫だ。
やめない理由が、ひとつでもあればいい
たまに思う。「どうせ誰も読んでないんだから、やめてもいいんじゃないか」って。
書いても誰にも届かない。評価もされない。フォロワーもいない。SNSもやっていない。
孤独な作業を毎日続ける意味、あるのかな?って。
でも、そんな中でもやめなかったのは、自分の中に“ひとつでもやめない理由”があったから。
自分の気持ちを整理するため。言葉にして残すため。誰か1人にでも届いたらという希望のため。
小さな動機でいい。正直、ちょっと意地になってるところもある。
でも、それでもいいと思う。継続って、そういう積み重ねなんだと思う。
また今日から始める
投稿が途切れても、また続ければいい。
カレンダーが空白になっても、またそこから埋めていけばいい。
大事なのは「止まったこと」じゃなくて、「再開したこと」。
そして、「また始められた自分」を、自分でちゃんと褒めてあげること。
私はこの投稿ミスから、スケジュール管理の甘さも、確認不足も、全部痛感した。
でも、それ以上に「自分はやめないんだな」ってことにも気づけた。
もう一度、ここからスタートすればいい。
そして、また新たに“継続の証”を積み上げていけばいい。
これからブログを始める人へ
この記事を読んでくれているあなたが、これからブログを始めようとしている人なら。
まず、完璧を目指さなくていい。
最初は何を書いたらいいか分からないし、誰も読んでくれないし、PVもゼロに近い。
でも、それでも書き続ければ、いつかは“誰かの時間を奪える文章”になる。
ブログって、努力がすぐには見えない。
でも、自分の言葉はちゃんと積もっていく。
だから、まずは「今日1本」だけでも書いてみてほしい。
そして、続けてみてほしい。
最初の1歩は小さくても、振り返ったときにそれが道になる。
過去の自分へ、そして未来の自分へ
最後に、この記事を書いている今の私が、38日間頑張って続けた「過去の自分」へ、こう伝えたい。
よくやった。ミスしても、お前はちゃんと戻ってきた。
ミスは痛かった。でも、そのおかげで気づけたこともたくさんある。
これから先、何度でもミスはあるだろう。
でも、また書けばいい。また始めればいい。
そして、「未来の自分」へ。
もしこの先、また投稿を飛ばしたり、やる気をなくしたり、辞めそうになっていたら。
このときのことを思い出して。
投稿が止まっても、気持ちがある限り、継続は止まらない。
何度ミスっても、また戻ってこい。
俺たちは、そうやってやってきた。
まとめ:やらかしても、続ける価値がある
毎日投稿が途切れた。たった1日の投稿ミス。
でも、その出来事から学んだこと、感じたこと、変わったことは、数えきれないほどあった。
記事の公開時間、予約投稿の設定、確認作業、生活のリズム、心の切り替え、そして継続する意味。
全部、書いて初めて整理できた。
ブログって、やっぱり「自分を見つめる場所」だと思う。
だから、またここから続けていく。
やらかしてもいい。だけど、書くのをやめなければ、それでいい。
この言葉を、自分に、そして読んでくれたあなたに贈ります。